7月31日(月曜)、フランスの大女優、ジャンヌ・モロー(Jeanne Moreau)氏がパリの自宅で亡くなったことを代理人が明らかにしました。89歳でした。
この偉大なる女優の死に対して、フランス大統領のエマニュエル・マクロン氏は、『モロー氏は “映画そのもの” でした。彼女は自由な精神で、“確立した秩序にいつも反抗していました”』と述べ、哀悼の意を表しました。
もはや伝説とも言えるジャンヌ・モロー氏。高齢ではありましたが、80歳代に入っても精力的に仕事を続けていました。
モロー氏はなぜ亡くなったのでしょうか。死因と葬儀の予定について現在分かっていることをご紹介します。
また、ジャンヌ・モロー氏が若かった頃の画像もいくつかご紹介したいと思います。
ジャンヌ・モロー
ジャンヌ・モローの死因と葬儀の予定
Closer紙によれば、7月31日の午前7時30分に、デュフォーブル・サントノーレにある自宅アパートでジャンヌ・モローさんが亡くなっているのを、家政婦が発見したということです。
初期調査では、ジャンヌ・モローさんの死因は老衰とみられています。
まだ葬儀の予定や遺族については詳細が発表されておらず、今は発表待ちという状態です。
フランスだけでなく世界の映画界にとっても「大女優」と言えるジャンヌ・モローさんです。遺族による葬儀とは別に、国または映画団体の支援の下、日本で言えば「お別れ会」のようなものが開かれるかもしれませんね。
ジャンヌ・モローのプロフィール
あまりにも偉大過ぎるジャンヌ・モローさんなので、ここではごく簡単にプロフィールをご紹介しておきます。
名前: ジャンヌ・モロー(Jeanne Moreau)
生年月日: 1928年1月23日(満89歳没)
出生地: パリ
職業: 女優、脚本家、映画監督
生まれたのが1928年と言うことは元号で言えば昭和3年。昭和が始まって間もない頃に生まれていたのですね。
モローさんの父親は、フランス人のアナトール・デシレ・モロー(Anatole-Désiré Moreau)でレストランの経営者でした。
母親はイギリス人で、名前はキャサリン(Katherine)と言い、フォリー・ベルジェール(Folies Bergère)のダンサーでした。このフォリー・ベルジェールはパリの伝説的なミュージックホールとして有名です。
1947年にアビニョン演劇祭で演劇界にデビュー。コメディ・フランセーズにはイワン・ツルゲーネフの「村のひと月(田園の出来事)」でデビューし、20代までに劇団で主役を演じるほどになっていました。
1949年以降、映画にも出始めますが部分的な出演のみで、まだ数年は演劇の方をメインを活躍します。
モローさんの出演した映画の代表作と言えば、やはり「死刑台のエレベーター(1958年)」、「恋人たち(1958年)」、「雨のしのび逢い(1960年)」、「突然炎のごとく(1962年)」など、いわゆるヌーベルバーグ時代の作品でしょうか。
結婚
モローさんは、公式には、フランス人俳優のジャン-ルイ・リシャール氏(1949~1964年)、その後アメリカ人の映画監督ウィリアム・フリードキン氏(1977~1979年)と結婚しています。
また、ルイ・マル(映画監督)、フランソワ・トリュフォー(映画監督)、ピエール・カルダン(ファッションデザイナー)、マイルス・デイビス(ジャズ・トランぺッター)、テエドロス・ロバニス(俳優)との浮名を流すなど、恋多き女性でもありました。
交遊関係
女優のシャロン・ストーンさんと親しい間柄だったほか、ジャン・コクトー、ジャン・ジュネ、ヘンリー・ミラー、マルグリット・デュラスといった小説家たちとも、生涯を通じて交遊関係がありました。
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ジャンヌ・モローの画像
ジャンヌ・モローさんの若い頃の画像をいくつかご紹介しましょう。
いやぁ、本当に綺麗な女優さんだったのですね。記事を書きながら、思わず見とれてしまいました。
まとめ
本記事では、フランスの大女優・ジャンヌ・モローさんの死去に関連して、
- 死因や葬儀の予定
- 若かった頃の画像
についてご紹介しました。
80歳代という高齢になってもまだ仕事をしていたというモローさん。その生き方は、この間亡くなった野際陽子さんを思い出させます。
最後の最後まで現役であり続けるということは、並大抵のことではできないと思います。メンタル、フィジカルの両面で、一定以上の水準を維持できなければ無理ですよね。
その「活力」の源は何なのか。ぜひ知りたいものです。
ジャンヌ・モローさん、長い間お疲れさまでした。安らかにお眠りください。
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