またもや悲しいお知らせです。
米国の伝説的女優デビー・レイノルズ(Debbie Reynolds)が12月28日に亡くなりました。84歳でした。
デビー・レイノルズは、27日に亡くなった「レイア姫」キャリー・フィッシャー(Carrie Fisher)の母親です。
デビーとキャリーの母娘をモデルにした映画(『ハリウッドにくちづけ』)が制作されるなど、米国の日立に愛されていた女優があいついで亡くなるなんて、なんという年の瀬でしょう。
本記事では、デビー・レイノルズの亡くなった原因や、彼女の経歴、家族についてご紹介したいと思います。
デビー・レイノルズの死因
報道によると、デビー・レイノルズは、28日に13時過ぎに、ビバリーヒルズにある息子のトッド(Todd Fisher)の自宅で脳卒中で倒れ、近くのシダーズ・シナイ(Cedars-Sinai)の病院に救急搬送され、その後亡くなりました。
デビーは、トッドと先日亡くなったキャリーの葬儀の打ち合わせをしていたということです。
トッドによると、デビーにとって、キャリーの死はとても大きなショックだったようで、やはり、娘の死が脳卒中に関係しているのかもしれません。
“キャリーと一緒にいたいわ” と言っていたデビーは、本当に逝ってしまったのです。
デビー・レイノルズの経歴
デビー・レイノルズは、米国テキサス州エルパソ(El Paso)で、1932年4月1日に生まれました。
16歳の時に、そのとき住んでいたカリフォルニア州バーバンク(Burbank)で、ミスバーバンクとなり、ワーナー・ブラザースと契約します。
その後、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)と契約し、1952年にジーンケリーのミュージカル映画『雨に歌えば(Singin’ in the Rain)』に抜擢され、大きな注目を浴びます。
この、『雨に歌えば』の曲は、あなたも一度はどこかで耳にしたことがあるのではないでしょぅか?
1957年『タミーと独裁者(Tammy and the BAchelor)』では、彼女が歌った主題歌『タミー』が大ヒットし、アカデミー音楽賞にノミネートされました。
その後も、
- 年頃ですモノ! This Happy Feeling(1958)
- 恋に税金はかからない The Mating Game(1959)
- ママは二挺拳銃 The Sencond Time Around(1961)
- 不沈のモリー・ブラウン The Unsinkable Molly Brown(1964)
など、多くのヒット映画に出演します。
『不沈のモリー・ブラウン』では、タイタニック号の実在の生存者を演じており、アカデミー主演女優賞にノミネートされています。
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デビー・レイノルズの家族
デビー・レイノルズは、3度結婚しています。
最初の結婚は、米国歌手のエディ・フィッシャー(Eddie Fisher)としており(1955~1959年)、このときキャリー・フィッシャーとトッド・フィッシャーが生まれています。
エディー・フィッシャーは、親友であった、女優エリザベス・テーラーの夫が亡くなったとき、テイラーを慰める間柄だったのが、いつの間にか関係を持つようになってしまい、当時は大きなスキャンダルになっています。
2度目の結婚(1960-1973年)はハリー・カール(Harry Karl)との結婚でした。ハリーは、大富豪だったのですが、のちにハリーのギャンブル好きと投資の失敗により、苦しい経済状態に追い込まれます。
最後の結婚(1984-1996年)は、不動産開発を行っていたリチャード・ハムレット(Richard Hamlett)との結婚でした。
デビー、そしてキャリー、安らかに…
「レイア姫」のお母さん、デビー・レイノルズの訃報に関して、
- デビー・レイノルズの死因
- デビー・レイノルズの経歴
- デビー・レイノルズの家族
についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
デビーの息子であるトッドは、姉を亡くし、すぐにまた母を亡くしてしまい、きっと一番今が精神的に辛いと思います。誰かが彼に寄り添い、支えてくれていると良いのですが。
今年は、年末が押し迫ったこの時期に、著名な有名人が幾人も亡くなっており、少々気分も沈みがちです。
来年は、明るい話題で始まることを望みたいですね。
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