堀越希実子(ほりこし きみこ)さんをご存知でしょうか?
市川海老蔵さん(令和4年10月に、十三代目 市川團十郎 を襲名)(45歳)の母であり、十二代目 市川團十郎さん(享年66歳)の妻である堀越希実子さんは、「成田屋」を陰で支えてきただけでなく、着物のデザインを手掛けたり、料理のレシピ本を出すなど多才な方でもあります。
本記事ではそんな堀越希実子さんについてご紹介します。
本記事中において、とくに「〇〇代目」と書いてない團十郎は十二代目團十郎、海老蔵は現十三代目團十郎を差しています。
堀越希実子とは?
堀越希実子の実家
堀越希実子さんの父親は庄司隆雄さんという方なのですが、この方がスゴイ方で、
- 熊谷観光開発株式会社の代表取締役
- 巽興業株式会社の代表取締役
- 高根カントリー倶楽部の総支配人
を歴任した実業家でした。
熊谷観光開発は、高根カントリー倶楽部の開発に携わった会社のひとつで、現在は同倶楽部の経営を行っています。
高根カントリー倶楽部は、1962年に開場のゴルフクラブで、今も多くのゴルファーに利用され高い評価を得ているクラブです。関東圏に住んでいる方で、ゴルフをする方であればご存知でしょう。
巽興業は詳細が分からないものの、熊谷観光開発と同様に建築関連の会社、もしくは不動産関連の会社ではないかと思われます。
このような父親のいる家庭に生まれた希実子さんです。團十郎さんと結婚するまでは、何ひとつ不自由のない生活を送られていたのではないかと思います。
堀越希実子のプロフィール
もう少し堀越希実子さんについて詳しくご紹介しましょう。
名前: 堀越希実子(ほりこし きみこ)、旧姓:庄司(しょうじ)
生年月日: 1952年9月10日
出身: 東京都
出身大学: 学習院大学仏文学科
年齢は今年(2024年)で72歳になります。お若く見えますね。
学習院大学を出ているという事からも、やはり「いいとこのお嬢様」という感じがします。
夫は十二代目の市川團十郎さん(故人)。本名は堀越夏雄(ほりこし なつお)と言います。
そして子供は、ご存知の通り、長男の十三代目 市川團十郎(十一代目 市川海老蔵)さん、長女の三代目 市川ぼたん(令和元年に四代目 市川翠扇を襲名)さんがいます。
堀越希実子の若い頃の画像
こちらは現在の堀越希実子さんの画像です。着物が似合う上品な方ですね。
希実子さんの若い頃ってどんな感じだったのでしょう?
これは、2014年に開催された『着物つれづれ 市川團十郎と歩んだ日々展』のちらし画像ですが、写っているのは2005年頃かあるいはもう少し前の團十郎さんと希実子さんです。希実子さん、お綺麗ですよね。(画像はクリックすると拡大することができます)
さて、これより昔の希実子さんの画像で良いものが見つかりません。ようやく見つかったのが、こちら。
一緒に写っているのは、海老蔵(孝俊:たかとし)さんとぼたん(智英子:ちえこ)さんでしょうか。時代を感じさせる画質ですね。希実子さんが30歳前後の頃の画像だと思われます。
こちらは少し前に話題になりましたね。十三代目團十郎さんのインスタグラムに投稿された、雑誌の表紙に掲載された希美子さんと團十郎さんです。やはり、希美子さんは美しい方だったのですね。
十二代目團十郎と堀越希実子の結婚
團十郎との結婚はお見合い結婚
季実子さんと十二代目團十郎(当時は、十代目海老蔵)さんとの結婚は、お見合い結婚。
ひとりっ子だった季実子さんですが、ご両親は早くお嫁に出したかったのか、18歳の頃からたくさんのお見合いをさせています。ご本人によると “10人はした” とのこと。
しかし、すべて季実子さんからお断りしていたそうです。ピンと来る人がいなかったのでしょうね。
團十郎さんとは、やはり歌舞伎が縁で出会いました。
歌舞伎はよく見に行っていて團十郎さんの舞台もよく見ていたとのこと。あるとき、知人から「見合いをしてみないか?」とのお話があり、なんと楽屋でお見合いしたそうです。
そのあとすぐに團十郎さんから食事に誘われるようになり、順調に交際は進みます。
希美子さんのお父様が團十郎さんのことをとても気に入ったようで、團十郎さんは、希美子さんがご両親と住んでいるマンションに毎日やってきてご飯を食べるようになったそうです。
梨園の厳しさに音を上げる?
希美子さんは、結婚が決まったとき、まわりから「大変ね」と言われても、それがどういう意味なのかよく分かっていなかった、と言っています。
ところが、結婚してすぐに梨園に嫁いだことの大変さを思い知ったそうです。
何も知らない希美子さんに梨園の「しきたり」を教えてくれたのは番頭さんでした。梨園の妻として頑張っているつもりでも、けっこう失敗はしたようで、夫の團十郎さんにも叱られたりしたそうです。
そんな厳しい生活でも、憂さ晴らしに友人や両親に愚痴ることはしませんでした。両親が心配してしまうので、話すことはできなかったと希美子さんは言っています。
また、離婚を考えることもなかったと言います。理由は、團十郎さんが希美子さんの話しをよく聞いてくれていたから。
希美子さんが厳しい梨園でやっていけるようになったのは、なんでも相談できる團十郎さんのおかげと言って良いかもしれません。
結婚後は経済的に苦しかった?
裕福な家庭に育った希実子さんの結婚後は、経済的にはどうだったのでしょうか?
父親の庄司隆雄さんは、不動産の事業で失敗し多額の借金を抱えてしまいます(これは巽興業でのことでしょうか)。
これがいつのことかは不明ですが、庄司さんが亡くなったとき、團十郎さんが保証人となっていたため借金の返済を團十郎さんが負うことになったことから、希実子さんとの結婚後であることは確かのようです。
この借金は、團十郎さんが亡くなったあと、今度は海老蔵さんが負うことになる訳ですが、その金額は一説には約20億円とも言われており、その返済は團十郎・希実子夫妻に重くのしかかってきました。
歌舞伎の名門、成田屋として恥ずかしくない最低限の生活と借金返済のために、きびしい経済的なやりくりを強いられていたことは想像できます。
團十郎の闘病生活
最初は風邪かなにかと思っていたそうですが一向に良くならず、むしろ悪くなっていく状態。
勧進帳の弁慶を演じていたときは、後ろを向いたとき(客席に背を向けたとき)、酸素吸入していたそうです。
公演終了後に医師の診察を受けると、白血病であることが発覚します。2004年のことです。
医師から白血病であることを告げられると、團十郎さんは天井の一点をじっと見つめたままで、相当なショックを受けたようです。
希美子さんは、そのとき心の中で「ダメだ」と思ったそうです。娘さんと一緒に毎日にように泣いていたと言いますから、ご家族のショックも相当なものであったことが分かります。
團十郎さんの闘病生活は10年に及びました。
希美子さんは團十郎さんが病院に行くときは必ず一緒に行き、入院生活では、娘のぼたんさんが病院にずっと(!)寝泊まりして、團十郎さんと一緒に居るようにしました。
團十郎さんは闘病生活のあいだに、以前に比べて明るくなり、よく喋るようになりました。
一時は治るのでは?との期待が大きくふくらんだこともありましたが、二度の寛解を経て、團十郎さんは2013年に他界します。
堀越希実子と小林麻央との仲は?
海老蔵さんと言えば、奥さんの小林麻央さんの闘病のことが注目されていますが、義母である希実子さんと麻央さんとの仲はどうなのでしょう?
海老蔵さんが結婚した当初は、希実子さんと麻央さんとの不仲説がよく流れていました。
麻央さんにとっては初めて飛び込む「歌舞伎」という世界。いろいろと不慣れなこともあったとは思いますが、そのことを希実子さん快く思っておらず、当時メディアが流していたように「不仲」であったのか、というとこれは疑わしいのです。
芸能関係者などの言葉として流されるいわゆる「スクープ」系のニュースは、情報の出どころがハッキリしていないことも良くあります。当時、海老蔵さんも “関係者って誰?” というような発言をブログでしており、希実子さんと麻央さんの不仲説は「作られた話題」であった可能性があります。
希美子さんは、麻央さんを海老蔵さんから紹介される前に、テレビに映る麻央さんを見て “こんな人が(海老蔵さんの)お嫁さんになったらいいな” と思っていたそうです。
麻央さんの病気のことを知った希実子さんが “私がなれば良かったのに…” と言ったという話しは有名ですし、最近の週刊朝日のインタビューでも “早く治ってほしいと思います” と話しています。
希実子さんと麻央さんが不仲、というのは誤った情報だと私は思っています。
麻央さんが帰ってくるまでもうひと頑張り
團十郎さんが亡くなった後、成田屋を裏から支え続けてきた希実子さん。
本来であれば、海老蔵さんの妻である麻央さんにその役目をバトンタッチしても良い頃なのですが、麻央さんはいま闘病中の身。
可愛い孫、麗禾(れいか)ちゃんと勸玄(かんげん)くんとに癒されながら、麻央さんが帰ってくるまで、もう少しおばあちゃんには頑張ってもらいましょうか。
堀越希実子さん、よろしくお願いいたします。
大変残念なことに、小林麻央さんは2017年6月22日に永眠されました。
麻央さん、お疲れさまでした。安らかにお眠りください。
希美子さんは “またまだがんばらなきゃ” と、お孫さんたちの幼稚園の送り迎えや、弁当作りをしています。
まだしばらくの間、市川家には希美子さんの助けが必要ですね。おばあちゃん、もうひと頑張りです!
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