10月14日午前11時59分、「総務部総務課山口六平太」などで知られる漫画家の高井研一郎氏が、調布市内の病院で肺炎のため亡くなりました。79歳でした。
高井氏の死を悼み、プロフィールや作品の紹介をしたいと思います。
高井研一郎
高井研一郎のプロフィール
長崎県佐世保市、昭和12年(1937年)7月18日生まれ。
父親が上海租界で書店を営んでいたため上海で育ちます。
中学3年のときにマンガを描き始め、通信教育で漫画の勉強をしたそうです。この頃から、地方新聞に漫画を投稿し、掲載されるようになります。同時に、新聞社の人に、本格的な漫画の描き方を習ったそうです。
その後、『漫画少年』に投稿するようになり、1953年頃に初めて入選します。
『漫画少年』で石ノ森章太郎や赤塚不二夫と知り合い東日本漫画研究会に入り、松本晟(後の松本零士)とともに九州支部の結成をしました。
定時制高校卒業後は赤塚不二夫たちに誘われてトキワ荘に入居する約束をしていたそうですが、20歳の時、上京してみると入ろうとしていた部屋には水野英子が入居しており、トキワ荘には入れなかったということです。
趣味は手品ということで、マジシャンとのお付き合いもあったようです。
晩年は、自分の生前葬を執り行うなどしており、2013年には三回忌(3度目の生前葬)まで行っていました。
[adSense]
高井研一郎の作品
上京後はしばらく仕事がなく、苦しい生活を送っていましたが、1956年に雑誌『少女』に「リコちゃん」でデビューします。
その後、手塚治虫や赤塚不二夫のアシスタントをしながら、青年誌を中心にナンセンス漫画を描いています。
1986年からは、『ビッグコミック』にヒューマンドラマ「総務部総務課山口六平太」の連載を始めます。
高井研一郎の作品と言えば、「総務部総務課山口六平太」と「プロゴルファー織部金次郎」を真っ先に思い出しますが、これ以外にも次のような作品があります。
作品名 | 作者 | 掲載誌 |
---|---|---|
総務部総務課山口六平太 | 林律雄 | ビッグコミック |
壁際お荷物社員会社乗っ取り物語 小池さん | 林律雄 | |
上海ワンダーランド | 林律雄 | ビッグコミック1 |
プロゴルファー織部金次郎 | 武田鉄矢 | ビッグコミックスペリオール |
男はつらいよ | 原作:山田洋次、脚色:林律雄 | (松竹映画作品を漫画化) |
マジデカ | 中原まこと | |
プロゴルファー獏 | さまさき十三 | パーゴルフ |
警部補花さんの事件簿 | 浅野拓 | |
たらちねストーリー | 面家哲郎 | |
あほう鳥の止まり木 | やまさき十三 | |
まるだし君 | (4コマ漫画) | 日刊ゲンダイ |
赤塚不二夫との関係
高井研一郎が駆け出しの漫画家であったころ、特に関わり合いの深かった赤塚不二夫との間柄について少し書いておきたいと思います。
高井は、石ノ森章太郎の主催する「東日本漫画研究会」で赤塚不二夫と出会いました。
ちょうど1962年に、赤塚が「おそ松くん」(少年サンデー)の連載を始めるとき、高井は共同執筆者となって赤塚を助けたのです。
「おそ松くん」に登場する、イヤミ、デカパン、ハタ坊などの特徴あるキャラクターは、赤塚の口伝てをもとに高井がデザインしたものでした。
1970年までは、フジオ・プロダクションに、作画スタッフのチーフとして所属していたとのことです。
高井は、実際には赤塚の共同執筆者(パートナー)であったわけですが、赤塚門下の「四天王」として古谷三敏、北見けんいち、あだち勉と共に紹介されることもあります。
まとめ
10月14日に亡くなった高井研一郎について、氏のプロフィールや作品、赤塚不二夫との関係についてご紹介しました。
また漫画界の大きな星がひとつ消えてしまいました。仕方がないこととは言え、とても寂しい気持ちです。
ご冥福をお祈りいたします。
コメント