テニスの大きな大会で日本人選手が上位の成績を収めるたびに注目を集める「伝説のテニスプレーヤー」である熊谷一弥(くまがいいちや)氏。
今年はリオ五輪で錦織圭選手が銅メダルを獲得したことでまた注目されていました。
熊谷氏のテニスでの素晴らしい活躍については記録が残っており、私たちはその凄さを知ることができます。
ところが、これまで熊谷氏の出生地は分からないままでした。
このほど、5年ほど前から熊谷氏について研究していた池末啓一氏(62歳)が熊谷氏の出生地を明らかにしました。
また同時に熊谷家に養子と出されていたとされる熊谷氏の実父も判明しました。
本記事では、熊谷氏の出生について、そして意外な熊谷氏の実父についてご紹介します。
伝説のテニスプレーヤー熊谷一弥
熊谷一弥氏は福岡県大牟田市出身の男子テニスプレーヤー。
生まれたのが1890年(明治23年)9月10日生まれで、1968年(昭和43年)8月16日に亡くなっています。
熊谷氏は、日本テニス界の黎明期を築いたパイオニアのひとりとして活躍しました。
熊谷一弥の活躍
まず、簡単に熊谷氏がなぜ「伝説のテニスプレーヤー」と呼ばれているのか、簡単に彼の活躍についてご紹介しましょう。
1913年(大正2年) | 東洋選手権大会 (マニラ) |
シングルス準決勝進出、ダブルス準決勝進出 日本人テニス選手の初めての海外遠征 |
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1915年(大正4年) | 極東選手権大会 (上海) |
シングル、ダブルスともに優勝 |
1918年(大正7年) | 全米選手権 | 日本人として初のベスト4進出 |
1920年(大正9年) | アントワープ五輪 | シングルス、ダブルスともに銀メダル獲得 日本人選手として史上初のメダル獲得 |
どうでしょう? 96年も昔にこんな活躍をしたスゴイ選手がいたなんて驚きですよね。
因みに、1919年(大正8年)には、全米ランキング(シングルス)で3位にまでなっています。世界ランキング(シングルス)では7位が最高でした。
出生地はどこ?
このような素晴らしい活躍をしている熊谷氏ですが、これまで出生地がどこかずっと分からないままでした。
今回熊谷氏の出生地を明らかにした池末氏によると、熊谷氏は1890年(明治23年)に、旧横須村(現在の大牟田市)で生まれ、幼いころに熊谷家に養子として引き取られていたことは分かっていました。
調査の過程で、大牟田市の市史に熊谷氏の実父や実兄などについての記述があることを発見し、実父が石炭の採掘・販売に携わった大淵頼母であることと、「明治六年横須村一二四番地に移住」という記述があることが判明しまいした。
その番地は、現在の住所では市内の健老町と城町2丁目の境界辺りと分かり、また熊谷氏の実兄が1874年(明治7年)に移住先の隣で生まれた、との内容の記述もあり、大淵家がそのあたりに住んでいたことは間違いないと言います。
これで、長い間謎だった熊谷氏の生誕の地がようやく明らかになった訳です。
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大淵頼母とは?
大淵頼母という名前を聞いてピンとくる方はあまりいないと思います。
実はこの人、あの三池炭鉱で石炭の採掘や販売を手掛けていた人物で、三池炭鉱創業碑(大牟田市笹林町・大牟田公園)には、この碑の発起人の一人として台座にの碑文に名前が記されています。
大牟田市史によれば、“大淵頼母氏は1873年(明治6年)に横須村に移住し、その後、採掘販売を手掛ける。稲荷、横須の戸長を務め、その後四村合併を進て、大牟田町成立後は長く助役を務めた” とされている人物です。
また、大淵頼母氏には熊谷氏の他に実の子(?)が少なくとも2人いたようです。
論文『戦前期石炭鉱業の資本蓄積と技術革新(一)』(北海道学園: 大場四千男、児玉清臣)には、大淵頼母氏が、明治6年から14年頃まで舟による石炭の積み込みと販売を行っていたことに関して、二人の子ども(兄弟)が次のようなことを述べていることが記載されています。
大淵吉熊
官営トナッテ堂面川ノ石炭会所ハ廃止ノ事トナッタノデ私の内デハ(父大淵頼母)此ノ機会ニ鉱山局ノ下請負ヲヤラウト思ッテ明治六年ノ春,堂面川ノ石炭会所跡ニ引越シタ
大淵司馬(弟)
父(大淵頼母氏)ハ…明治六年ニ石炭販売下請ヲヤル事ニナリ堂面川下ノ横須村ニ移リマシタ
大淵頼母氏は、移転後の地域においても人望があったようですし、三池炭鉱が官営化されたあと商売の方もうまく行っていたようです。
なぜ熊谷氏を養子に出した理由は明らかになっていませんが、熊谷氏が生まれる1890年(明治23年)には、炭鉱の仕事からは退いていたようですので、もしかしたら経済的な困窮といったことがあったのかもしれません。
まとめ
伝説のテニスプレーヤーと言われる熊谷一弥氏の出生と、実父大淵頼母氏についてご紹介してきました。
大正の時代に、これほどの活躍をした熊谷一弥氏。あと90年ほど遅く生まれていれば、いったいどんな活躍を見せてくれたでしょう?
熊谷氏は、そんな妄想をしてみたくなるようなスゴイ選手だったのです。
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