毎回人気呼んでいるテレビ東京の企画番組『池の水ぜんぶ抜く』シリーズの第4弾が、9月3日に放送されるようですね。
番組タイトルは『緊急SOS!超巨大怪物が出た!出た!池の水ぜんぶ抜く大作戦4』。
ネット上には番組内容についての予告が公開されており、早くも盛り上がり見せています。
公開された番組内容で私が気になったのは、日比谷公園の雲形池の水を抜いたら見つかった佐賀藩鍋島家の家紋の付いた軒丸瓦。ニュースサイトの番組紹介記事では「歴史的発見」などの字も踊っています。
今回は、軒丸瓦って何なのか、佐賀藩鍋島家の江戸屋敷は現在のどのあたりにあったのか、について調べてみました。
佐賀藩鍋島家
佐賀藩(さがはん)は、現在の佐賀県のあたり、肥前国佐賀郡にあった藩(外様藩)で、肥前藩(ひぜんはん)とも言います。
藩主が鍋島氏だったことから鍋島藩(なべしまはん)と呼ばれることもあります。
鍋島家の家紋の付いた軒丸瓦
まず、どんなものが池の中から発見されたのか、画像を見てください(クリックで拡大表示されます)。
丸い平たい円盤のような形をしていますね。実はもとはこんな形でした。
発見されたのは、端の丸い部分のみとなった軒丸瓦(のきまるがわら)なんですね。
そもそも、どんなところに使われていたのかと言うと、こんな感じに使われていました。
⑤単弁蓮華文軒丸瓦×均整唐草文軒平瓦⑥巴文軒丸瓦×均整唐草文軒平瓦⑦単弁蓮華文軒丸瓦×均整唐草文軒平瓦⑧複弁蓮華文軒丸瓦×均整唐草文軒平瓦 pic.twitter.com/PeleaOLLyh
— 164 (@cast1ecastle) 2017年5月19日
軒丸瓦は、今でも本瓦葺(ぶ)きと呼ばれる屋根を持つお寺などで見ることができます。
軒丸瓦は、全体の形から「鐙瓦(あぶみがわら)」とも呼ばれ、円形の部分には巴(ともえ)紋が付いているものが多いので、巴瓦などとも呼ばれます。
また、今回発見された軒丸瓦のように家紋の付いたものは、「家紋瓦」と呼ぶこともあるようです。
鍋島家の家紋は「鍋島抱き杏葉(ぎょうよう)」と呼ばれ、次のような紋様をしています。
発見された軒丸瓦の紋様とそっくりですよね。
「杏葉」とは馬の装飾に使う金具や革具のことを言います。中国から伝わってきたもの言われていますが、なぜ「杏葉」の文字が当てられたのかは分かっていません。
初めは、鞍のの付属品として、やがて牛車の装飾に使われるようになり、家紋にも使われるようになったと言われています。
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佐賀藩鍋島家の江戸屋敷の場所
では、佐賀藩鍋島家の江戸屋敷(上屋敷)は実際にはどのあたりにあったのでしょうか。
江戸時代には、日比谷公園のあたりにもたくさんの大名屋敷があったので、その近辺であることは確かです。
江戸時代末頃の地図で確認してみると… ありました!
地図内の赤い四角で囲んである場所です。
え? “佐賀藩鍋島家” って書いてない?
そうなんです、鍋島家は徳川将軍から「松平」姓を賜って、松平と名乗っていたんです。そのため、「松平肥前守」と呼ばれていたんです。
江戸時代は松平姓を名乗っていましたが、明治維新を迎えると「鍋島」に戻しちゃいましたけどね。
現在の、日比谷公園は地図で見るとこんな感じです。
薄黄色が日比谷公園、日比谷公園内の紫色が、今回水を抜いた雲形池です。
左上の「桜田門」を基準に、江戸古地図と現在の地図を比べてみると、少し分かりやすいと思います。
鍋島家の江戸屋敷は、現在の日比谷公園で言えば真ん中よりやや東(右)寄りの噴水広場や日比谷パークセンターのあたりにありました。
なので、そこから南西側にやや離れた位置にある雲形池から、鍋島家の軒丸瓦が出てくるのはちょっと不思議な感じがします。雲形池付近にはゴミ捨て場みたいなものがあったのでしょうか。
まとめ
江戸古地図と現在の地図を見比べてみると、日比谷濠付近はほとんど江戸時代と変わっていないことに驚かされます。
今度はぜひ、日比谷公園内のもう一つの池、心字池でも池の水をぜんぶ抜いて欲しいと思います。また何か見つかるのではないでしょうか。
雲形池での発見の詳細については、9月3日の『緊急SOS!超巨大怪物が出た!出た!池の水ぜんぶ抜く大作戦4』の番組で確認したいと思います。
『池の水ぜんぶ抜く』シリーズの第3弾についてはこちら。
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