たびたび「アイヌの遺骨問題」がニュースとなります。
2月4日にも、“日本政府が19世紀後半にアイヌ民族の墓を発掘を禁止する「命令」出されていたとみられ、この時期に日本から持ち出された遺骨は不当収集にあたる” という報道(毎日新聞)がありました。
アイヌの人たちは「北海道の先住民族でいまも北海道で生活している人たち」というのが私個人の感覚です。
墓の発掘だなんて、エジプト古代王朝じゃないんだから、何を大げさな話しをしてるんだろう?という感じです。
でも、墓から発掘された骨(遺骨)が海外に持って行かれ、研究対象にされていたといいます。
いったいどういうことなのでしょうか?
今回は、アイヌってどいう民族なのか、どんな歴史があるのかについて、わかりやすく解説します。
また、アイヌの遺骨が海外に持ち出された理由についても触れたいと思います。
アイヌ民族とは?
アイヌの居住地
アイヌ民族は、現在は北海道を中心に東京周辺などにも住んでいますが、もとは北海道、樺太、千島列島やカムチャツカ半島の南部に住んでいました。
東方地方の方言にアイヌ語由来の言葉が残っていることから、北海道から南下し東北地方にも住んでいたのではないかとも言われています。
中世以降は、和人はアイヌの人たちを蝦夷(えぞ)、北海道や樺太を蝦夷地と呼んでいました。
ただ、日本史に出てくる朝廷による「蝦夷征伐」の蝦夷が、アイヌのことなのかどうかはハッキリしておらず、日本史学上は区別されています。
アイヌの特徴
アイヌの人たちには次のような外見的特徴があり、古モンゴロイドに区分されています。人種的にはアイノイド(Ainoid)と呼ばれています。
- 低めの身長
- 彫の深い顔立ち
- 二重まぶた
- 毛深い
- 耳垢が湿っている
- ウェーブのかかった頭髪
ちなみに、新モンゴロイドは一重まぶた、平たい顔、体毛が薄いなどの特徴があります。
中世以降、本州の和人(新モンゴロイド)とアイヌの人たちの交流が多くなり、現在の日本人は古モンゴロイドと新モンゴロイドがブレンドされた、両方の特徴が入り混じった民族となっています。
アイヌの言葉
アイヌの人たちの言葉・アイヌ語は、大和民族の話す「日本語」とほとんど共通点がなく、孤立した言語であると言われています。
「アイヌ」とはアイヌ語で「人間」を意味します。
18世紀に東北地方のアイヌ(と思われる人たち)に対して同化政策(和人の文化を強制)を実施してからは、本州ではアイヌ文化は失われていき、次第にアイヌ語を話せる人が減っていきます。
北海道においても、本州との交流が深まり和人(大和民族)への同化が進むにつれて、アイヌ語が忘れさられていきます。
2007年の時点で、約1万5000人のアイヌの中で、アイヌ語が流暢に話せる人(母語話者)は、なんと10人だったということです。このとき、母語話者の平均年齢は80歳を超えていました。
2009年に国際連合教育科学文化機関によって、アイヌ語は「極めて深刻な」消滅の危機にある言語に分類されましたが、2017年の現在では、もしかしたら、もうアイヌ語が話せる人は居なくなっているかもしれません。
アイヌの人たちは文字を持っておらず、生活の知恵や歴史といった次世代に受け継いでいく知識は、すべて口伝によっていました。
ウエペケレ(散文の昔話)やユーカラ(叙事詩)はこのような口承文芸で、語り継ぐ人がいなくなれば、アイヌ文化の大きな遺産が失われることになります。
そうならないように、現在、若い語り手たちを育成する保存運動が行われています。
アイヌの文化
イオマンテ
イオマンテ(あるいは、イヨマンテ)という言葉を聞いたことがありますか?
『イヨマンテの夜』という歌謡曲があったことや、WAHAHA本舗の梅垣義明さんが同名の芸をしていたことから、聞いたことがある人もいるでしょう。
イオマンテとは、“アイヌの儀礼のひとつで、ヒグマなどの動物を殺してその魂であるカムイを神々の世界 (kamuy mosir) に送り帰す祭りのこと(Wikipedia)” です。「熊送り」とも呼ばれます。
イオマンテはアイヌの人たちにとって、とても重要な儀式だったのですが、1955年に当時の北海道知事の通達によって「野蛮な儀式」とされ、事実上禁止となってしまいました。(2007年4月に、通達は撤回されました)
衣装
私たちは、アイヌの人たちはこんな衣装をきているというイメージがありますよね。
アイヌの伝統衣装はアミプと呼ばれ、中でもオヒョウやシナノキの樹皮の繊維で織った生地で作られたものアットゥシと呼ぶそうです。
装飾として、木綿の生地をアップリケして刺繍を行いますが、その模様は地域によって異なり、呼び名もさまざまです。
上の写真は、道南地方、特に噴火湾沿岸地方の「ルウンペ」。
これらの衣装は、主に儀礼用の衣装として使われたそうです。
アイヌの歴史
アイヌの歴史は、本州で弥生時代が始まったころ、北海道を中心に始まった続縄文時代(前3世紀~7世紀)、それに続く擦文時代(さつもんじだい、7世紀~13世紀)を経た、13世紀に始まったと考えられています。
アイヌは前述のように文字を持たなかったので文献資料が乏しく、その始まりを詳細に記述することは難しいのですが、擦文文化を継承しつつ、オホーツク文化と本州の文化を取り入れ融合させたものと考えられます。
アイヌ民族は狩猟採集生活をしており、これで得た物(魚や獣の毛皮)と和人の作ったもの(鉄器や漆器、米や茶、酒)と交換していました。
ただ、江戸時代には「力」を背景に不公平な交易を強いられ、アイヌの人たちから見れば損ばかりであったようです。
1869年(明治2年)、それまでの「蝦夷地」から「北海道」に改称されて、本格的な開拓が始まります。これによって、本州からたくさんの人が入植し、和人(大和民族)が一気に増えます。
同時に「旧土人学校」(なんだか、スゴイ名称ですね)が各地に作られ、教育は日本語で行われるようになります。
また、地租改正によって土地の所有権を和人に奪われ、アイヌの人たちは移住せざるを得なくなります。
これまでの狩猟や漁撈といった伝統的な生業もままならぬ状況となり、アイヌの人たちは苦しい生活を強いられるようになります。
自分で書いていて、なんだかアイヌの人たちに申し訳ない気持ちでいっぱいになってきました…。
アイヌの遺骨がなぜ海外に?
アイヌの人たちの骨がドイツにたくさん(少なくとも17体分)あると言います。
これらは不正に収集された、つまり盗掘などによって不法に持ち出された骨かもしれないとして、現在問題になっているのです。
なぜアイヌの骨が注目を浴びるようになったかというと、当時、アイヌ民族が「最も原始的な民族」とされていたためで、アイヌの人たちの骨を計測して、民族の特徴や人類の系統を明らかにする人類学研究ための資料として数多くの骨が集められたのです。
現在は、人種間の差異よりも個体差の方が大きいことが分かり、骨の計測による研究は下火になっています。
旧植民地ナミビアで20世紀初めに起きたドイツ帝国による先住民虐殺などの和解交渉で独政府特別代表を務めるループレヒト・ポーレンツ氏は『(ナチスの)危険な人種差別思想につながる研究に使われた遺骨であり、研究そのものが現在は行われていない(毎日新聞)』とも述べています。
もし本当に遺骨を勝手に墓から掘り出したのであれば、いくら研究のためとは言えヒドイことです。
研究がすでに行われていないのであれば、速やかに日本へ遺族のもとへ還して欲しいですよね。
無自覚なアイヌへの差別
最近、あるテレビ番組でアイヌ民族を差別する言葉が出演者から発せられ、大きな問題となりました。
発言した本人は、アイヌ民族やアイヌ民族への差別についてどの程度知っていたのか分かりません。しかし、発した言葉が、昔からアイヌの人たちが和人(大和民族)から差別を受けるときに使われていた言葉そのままであったのに驚かされました。
近年まで、ただアイヌ民族であるというだけの理由でいじめられる、という状況が続いてきました。身体的特徴(たとえば体毛が濃い)をバカにするようなことを言われたり、石をぶつけられたりすることは日常茶飯事でした。
平成19年に国連で「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択されて以降、政府はアイヌ民族への不当な差別をなくすためにさまざまな政策をとってきました。令和元年には「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」も施行されました。
このような流れの中で突然起きた「事件」がテレビ番組での発言です。政府関係者もアイヌの人たちも驚き、そしてとても落胆したことでしょう。アイヌの人々への理解が進んでいない、と。
あのような発言をするということは、おそらく発言者はアイヌ民族への差別の歴史を知らなかったのでしょう。だとすると、今後も同じようなことが起こるかも知れないということです。
もっと多くの人にアイヌ民族のことを知ってもらい、理解してもらう必要があると思いました。
アイヌの人々に対する差別については、北海道大学の菊池千夏氏の『アイヌの人々への差別の実像 ――生活史に刻まれた差別の実態――』をよく理解できると思いますので、興味のある方は読んでみてください。(リンク先はPDFファイルになっています)
まとめ
本記事では、アイヌ民族の特徴や文化・生活、そして海外に流出したアイヌ民族の遺骨についての解説を行いました。
私自身、どちらかと言えば古モンゴロイドっぽい外見で、昔からアイヌの人たちには何となく親近感を持っていました。ですが、アイヌの人たちのことについてはほとんど何も知らず、今回記事を書きながら、彼らが不遇な歴史を歩んできたことを学びました。
日本における数少ない少数民族のひとつであるアイヌが、差別等によって不自由な生活を強いられることがないよう願いたいです。
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