12月に入ると、街の商店街やオフィス街には、きれいに飾られたクリスマスツリーが登場します。
一般の家庭ではもう少し遅れて、クリスマスの一週間くらい前からクリスマスツリーを出し、飾り付けるところが多いようです。
クリスマスにクリスマスツリーを飾るのは当たり前のようになっていますが、どうして「クリスマス」にこのような飾り立てた「クリスマスツリー」を飾るのでしょう?
本記事ではクリスマスツリーを飾る理由、クリスマスツリーの由来についてやさしく解説します。
クリスマスの由来については下記記事をご覧ください。
クリスマスツリーの由来
クリスマスツリーは比較的最近飾られるようになった
「クリスマス」そのものを、現在のように12月25日に祝うようになったのは4世紀頃からであることは、『クリスマスって何の日?なぜ12月25日?その由来をやさしく解説!』で解説した通りです。
「クリスマス」は1600年ほどの歴史があるということになります。
では「クリスマスツリー」はいつごろから飾られるようになったのでしょうか。
じつは、私たちの知っている「クリスマスツリー」の歴史は意外に浅く、中世以降、およそ400年くらいの歴史しかありません。
クリスマスツリーの広まり
クリスマスに樹木を立てて祝う
4世紀ころには、1月6日の祝祭の日に各家庭は「花輪」飾っていたことが分かっています(シリアの教父エフラエムの報告による)。(1月6日の祝祭との関連についてはこちらを参照ください)
それから中世になると、冬至の時期を新年祭として、さまざまな若枝や樹木を立てて祝うようになったといいます。
冬至を祝うことや樹木を崇拝することは古来の宗教に由来することですが、これが冬至の日と近いキリストの降誕(誕生)祭と結びつき、樹木を立てて祝うことが家庭においても一般的になっていきました。
飾られる木は、白樺や樫も使用されましたが、特に好まれたのはツゲ、ビャクシン、なかでもモミなどの常緑樹が使用されました。理由は、その変わらない緑色は(生命の)不滅(永遠性)を表しているからです。
よりなじみ深いクリスマスツリーへ
私たちの良く知る、きれいに飾り付けられたクリスマスツリーは、中世の伝統によって完成されます。
中世、とくにドイツでは、聖夜(12月24日の夜)に教会の玄関前の広場で、キリストの降誕祭の幕開けとして、楽園における堕罪の物語を劇として演じていました。これを「神秘劇」と言います。
「楽園の堕罪」とは、ごく簡単に言うと、アダムとイブが神に命に背いてリンゴの実を食べてしまい、楽園から追放され、苦悩や死といった「原罪」を背負いこみ、それ以降すべての人類に引き継がれるようになったことを指します。
この神秘劇では、罪の誘惑の元となった実の付いたリンゴの木が舞台に立てられていました。
しかし、劇の演じられる12月下旬に実のなったリンゴの木を見つけるのことは困難です。そのため、代わりに手に入れやすい常緑樹のモミの木が用いられ、リンゴをぶら下げたということです。
リンゴは今では「玉」としてツリーに飾られていますね。
また、リンゴとともにホスティア(聖餐式のパン、最後の晩餐でキリストが弟子たちに与えたパン)が飾られるようになります。
ホスティアはクッキーに姿を変え、現在もツリーに飾られています。
やがて、クリスマスツリーは教会前の広場から、各家庭に飾られるようになっていきます。
それとともに、最初はリンゴとホスティアだけだった飾りも、徐々にキリスト教と関係の深いものがツリーに飾られていくようになっていきます。
まとめ
クリスマスツリーの由来について、その起源やツリーと飾りに込められている意味についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
意外にクリスマスツリーそのものの由来について解説されたものがなかったので、ご紹介してみました。
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